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今日の午後資料調べで市立図書館にいたら、2時45分近くに、東日本大震災発生時刻に黙とう参加を呼び掛けるアナウンスがあった。年輩の利用者を中心に、起立して黙とうをされている。(私もしました。)

5年前の東日本大震災とその後の大津波~原発事故を考えると、あまり思い出したくない出来事です。
しかし、当日の私はと言うと、3・11の2ヵ月前の1月のお正月明けに、2回目の大手術から退院し、神田での社会起業家のプレゼン大会の委員として会議室にいました。大地震発生時は、ビル全体が何度も大きく揺れ、プレゼン大会は中止となりました。神田警察署近くのビルから大通りに出ましたが、周辺のビルからも次々と人が飛び出し、大通りを埋め尽くし、まさに映画の撮影現場にいるかの様な錯覚をしました。
その後、PC画面から流れる東北地方の地震速報。そして、その後の大津波に、プレゼン大会の関係者とただただ無言になったのを覚えています。

2泊の予定で日本橋にホテルを予約していたので、取り敢えず車道まではみ出した「帰宅難民」の人並みに押されて歩き出しました。(大手術後2ヵ月の身には、不安が広がっていました。)神田から東京駅~日本橋へ向かいましたが、1時間以上かかりました。また、途中のコンビニや食品店に入りましたが、食べ物・飲み物はすべて売り切れ状態でした。ぞして、整然と歩を進める「帰宅難民」の群衆に感心しました。
やっとの思いでホテルに着きましたが、何と地震の影響でエレベーターが動かない。(-_-;)1時間以上歩いた最後が、8階か10階までを非常階段を登って部屋に入りました。その後も小さな余震が続いたので、ズボンとシャツを着たまま夜を明かしたのを覚えています。

その後も東京から郡山へ向かう交通機関が無く、3日目の夜に新潟経由で郡山に向う深夜夜行バス席を予約して、震災後4日目未明に、被災した郡山駅に着きました。この経験を通じて、防災への緊張感を持っています。   ▼家路を急ぐ帰宅難民

160310帰宅難民
※ 「PRESIDENT family」 より